2011年10月15日

柳ジョージ

柳ジョージさん死去のニュースに22年前7月の光景を思い出した。

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旭川LIVE JAM 1989 7月下旬の日曜日

当時旭川では有志で実行委員会を作り、出演交渉から運営までプロモーターに頼らず大規模な野外ライブフェスを自主運営していたのだ。83年から10年以上は続いたはずだ。観に行ったのはこれが2回目で特にお目当てがなかったけど、旭川市郊外の寒くて蕎麦栽培で有名な「江丹別 若者の郷」で牧歌的な風景の中、夏の1日をライブで過ごすのは気持のよいものでした。

まだ陽が高いうちに登場した
柳ジョージさん。
渋かったですね〜黒と黄色のゼブラのシャツに黒のパンツ姿。とにかく歌が良かった、血の通った肉声のヴォーカルの温もりに、フアンじゃなくても会場の人は皆感動していました。

いまでも「ベイビ〜泣かないで〜こんな俺のためにぃ〜」のフレーズだけはハッキリ耳に残っています。なんてイイ歌なんだろう・・・と思ったら「FOR YOUR LOVE」という曲でした。

ひとつ気付いたのはジョージさんの年齢。享年63歳ということは私が見た時は41歳で今のマシャ様(福山)と同じくらい。だったら大ヒット曲「雨に泣いている」でテレビで見た時は30歳!櫻井翔か・・・。つまり柳ジョージは大人のシンガーであり、大人の曲がきちんと支持されていた時代だったということだ。

★★★スポニチアネックスより★★★

学生運動が激しかった日大在学中の1969年、ブルースロックバンド「パワーハウス」を陳信輝(62)らと結成。翌70年にザ・ゴールデンカップスの後期メンバー(ベース)として加入。解散後の75年に広島のローカルバンドをバックに「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。「雨に泣いてる」「FENCEの向こうのアメリカ」「さらばミシシッピー」などのヒットを飛ばした。中でも79年のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」はオリコンチャート1位を記録した。

 81年暮れの日本武道館公演で解散。わずか6年間の活動だったが、R&Bをベースにしたロックがヒットチャートをにぎわせたのは当時では異例のことで、その後の日本のロックやポップシーンに大きな影響を与えた。ソロ歌手として活動後も“泣きのギター”と呼ばれるフレーズから「和製エリック・クラプトン」と称され、俳優高倉健(80)が柳のディナーショーに突然訪れ「以前から聴いていました」と声を掛けたエピソードは有名だ。

ただし、この時のライブで“ちぃさま”が一番燃えたのは SHOW−YA
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前年「限界ラバーズ」が大ヒット、寺田恵子姐さんのダイナマイトヴォーカルとセクシーなコスプレチックな衣装で、それはそれはセンセーショルなバンドでした。演奏もハードロックバンドとして日本で秀逸でした。観ててもウォ〜!って感じでカッコ良くて、後日すぐアルバムレンタルして聴いていましたねぇ〜2005年に再結成して恵子姐さんも健在!見たいなぁ。
posted by ちぃさま at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽・ライブ・観劇 | 更新情報をチェックする
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