2011年09月05日

函館要塞〜戦争遺産

もうひとつの函館山〜閉ざされた要塞の秘密〜

日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に、明治31年(1898)から4年の歳月をかけて大小5か所の砲台が建設された。

戦後1946年に解放される迄一般人の入山は勿論、山の写真やスケッチも禁止されたと言うから驚きです(@_@)2001年「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。

【薬師山砲台跡】
細い道の行き止まりまで行くのは気味悪かった(ToT)
RIMG1008 (450x338).jpg

    RIMG1009 (338x450).jpg

RIMG1010 (450x338).jpg


【千畳敷砲台跡】
明治34年(1901)施行。28センチの榴弾砲 、15センチの臼砲の砲座跡などが残っている。第1砲台・第2砲台と遺跡が長く続く。
     RIMG1027 (300x400).jpg

RIMG1043 (450x338).jpg

RIMG1042 (450x338).jpg

     
【千畳敷戦闘司令所跡】
明治38年施行。函館要塞全体の指揮所として、連絡手段に電話、回光(発火)通信を用いていた。コンクリートの天井は無くなってしまっている。
    RIMG1058 (338x450).jpg

RIMG1057 (450x338).jpg

RIMG1050 (450x337).jpg

RIMG1052 (450x338).jpg

知らない方も多いと思います。これは不思議体験ゾーンです。
御殿山第二砲台跡と入江山観測所跡は今回未訪。

posted by ちぃさま at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 函館・小樽等 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな場所を散策するとは・・・・探究心に脱帽します。

函館山に設置された28センチ榴弾砲は、日露戦争で旅順港制圧の戦(203高地で有名ですね)の攻撃に使用されたものと同型で、当時の港湾防御用に作られた大砲だそうです。

そんな函館要塞ですが、戦争が終わるまでほとんど活躍することはなかったようです(連絡船が全滅した函館空襲のときも何も反応がなかったとか)。
Posted by じゅん at 2011年09月07日 14:33
>じゅんさん
この遺産めぐり、コンディションいい日なのに人一人いなかったです。
私のような若い女の子が一人で行ってはいけないですよね。

それだけ下界と離れているだけに、非日常感は格別でした。
桜島で誰もいない溶岩道路を歩いたのと同じような高揚感でしたわ。

これだけ装備して実戦に機会はなかったと聞いています。
函館空襲は知りませんでした(汗)
Posted by ちぃさま at 2011年09月08日 21:34
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック