2009年09月14日

偽りの明治維新 会津戊辰戦争

8月、東京で所用がありました。

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前日(日曜日)が移動日だったけど、朝イチで千歳から向かったのは羽田ではなく福島空港。記念撮影用に空港の記念になるもの探したら、何故かウルトラマンがいました。空港から福島駅までのどかな田園風景の中をバスは走ります。

【追記】
会津在住の方からコメントいただき謎が解けました。空港近くの須賀川市はウルトラマンの生みの親、『円谷英二氏』の出身地で、空港名を『ウルトラマン空港』とする運動もあるそうです。

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今回の城は「鶴ヶ城」(会津若松城)です。
【偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実  星亮一著作】を読んで、薩摩びいきの“ちぃさま”が会津にシンパシーを感じまして。倒幕の動き〜大政奉還〜西南戦争、旧会津のその後の歩み等々いろいろ面白いです。

超大雑把に要約すると。

・明治維新とは薩長(薩摩と長州)史観=薩長の政権奪取クーデター

・御所に発砲した長州藩こそ賊軍だった、策略で立場が逆転、孝明天皇からの信頼も厚かった会津藩が賊軍に。正に勝てば官軍。

・江戸城は無血革命ではない。幕末の京都はイラク並みのテロ都市だった。江戸城が無血開城したかわりに薩長軍は会津に攻め込み、京都守護職を務めた会津藩薩長軍が生贄にされた。

・城下の人々は命を懸けて戦った。一ヶ月のろう城、白虎隊の悲劇、強奪。

・長州藩は死人の埋葬も許さず、会津藩は廃絶され、青森の下北に追いやられ悲惨な生活を強いられ、長く賊軍の汚名を着せられた。

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当時の城下の略図。赤い印は城下の出入り口のひとつ「甲賀町口」

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現存する「甲賀町口」ここから城に向かう甲賀町通は家老の屋敷が多く、攻め込まれて「もやはこれまで」と自決する人々で血まみれの惨劇だったそうな・・・

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戊辰戦争降状式が行われた地。

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家老:西郷頼母邸跡地。家の女性達は全員自害した。

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北出丸の掘。歴史をかみしめながら“ちぃさま”いよいよ入城です。

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posted by ちぃさま at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅&城(東北) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
奥羽越列藩同盟の中心だった会津藩は、たしかに酷い仕打ちをうけましたね。でも、藩主や家老など要職にいた人達は、なんだかんだと明治になってからもそれなりの地位に就いていたりします。

平民宰相と呼ばれた原敬も南部藩の要職にいた人物の子供ですが、かれが爵位を嫌い"平民"であった理由は、新政府は薩長の足軽どもが作った賎民の政府であり、そんなところから誇り高き家老職の人間が勲章をもらうなどもってのほか、という差別意識からなんだそうで。

薩長も薩長だけど、幕府も幕府って気がします。

それまでの価値観が崩壊するときには、古いものが全て敵視されてしまう・・・・日本人のとても残念な側面ですね。
Posted by じゅん at 2009年09月17日 23:21
>じゅんさん
鶴ヶ城は割りと新しい戦いと悲劇の歴史がある城としておもしろかったです。
藩主は隠居、4男は中米大使。幹部:山川浩は貴族議員、その弟山川健次郎は東大総長、妹山川捨松は津田梅子と共にアメリカ留学。
青森県に給仕から自力で陸軍大将に上り詰めた柴五郎くらいでしょうか?
原敬は爵位濃厚だったけど、あらゆる工作をして爵位を阻んだらいいってのがおもしろいですね。

>それまでの価値観が崩壊するときには、古いものが全て敵視されてしまう・・・
それは私も思います。多分太平洋戦争の後もそんな感じだったのかと。
だから呑気に城マニアと言っているけど、当時の城は圧政の憎きシンボルとして、人々はベルリンの壁みたいに嬉々として破壊したのかな?
なんて考えたりするんです。

Posted by “ちぃさま” at 2009年09月18日 00:46
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